オリンピックと日本

 

1940年「幻の東京オリンピック

 2020年の東京オリンピック誘致に成功したのは、実は3回目です。晴れある1回目は、1940年に東京オリンピックを開催する予定でした。しかし 1940年の東京オリンピックは開催国が返上を決定した唯一の事例になりました。なぜ返上しなければならなかったのか本来であれば、明治維新以降富国強兵を図り、日清戦争日露戦争の勝利を得て一等国の仲間入りをはたし、アジアで最初のオリンピックを開催し、国の威信を誇りたい、日本国民なら誰も願っていたと思います。しかし日中戦争勃発とナチス・ドイツのヨーロッパ侵略がそれを許しませんでした。日本に対して反戦抗議として各国のオリンピックボイコット、前回大会のドイツ大会を、ヒトラーがオリンピックを宣伝に悪用しその二の舞の懸念など、IOC関係者は、苦渋したと思われます。

 

1964年 東京オリンピック開催

 1964年東京オリンピック時のIOC第五代会長であるブランデージ会長は「七つの海を結びつけ、オリンピック大会が全世界のものである証左として、東洋で行われるこの大会を、平和を愛好する若人の喜びの祭典として、皆さまに捧げる。」と開会式で演説した。これは1940年当時に日本のオリンピック関係者にオリンピック返上を説得した内容をメッセージとして読み上げたのではないかと考えてしまいます。(※ブランデージ会長 1940年当時アメリIOC委員会の一人 1940年大会の参加国のボイコットを牽制し、日本オリンピック関係者と協力し、オリンピック開催に尽力していた。)我々の国の先人たちは、開催国として「平和の祭典」にふさわしくないと判断し開催国を返上しました。1940年の英断が、多くのIOC委員の心に刻まれ、1964年の東京オリンピックを招致するうえで、大きな財産になっていたのではないかと思います。

 

 

2021年 東京オリンピック開催予定

 2020年東京オリンピックを開催する予定でしたが、コロナ禍により延期しました。1年の延期で、コロナ禍が落ち着いたわけではありませんが、コロナ対応を行いオリンピックを開催する予定です。ここ最近まで開催か中止か、半々の意見でしたが、池江璃花子選手(水泳)の存在が、潮目を変えたように思います。彼女は、病気になったことにより2020年のオリンピックは、出場を断念していました。本来であれば、次回オリンピックを目指す予定でしたが、コロナ禍のせいでオリンピックが1年延期、その1年間で病気治療、リハビリを行い、東京オリンピックに出場することが出来るまで復帰しました。そこまでの過程は、並大抵の努力ではなかったと思います。その背景をほとんどの国民は知っています。流行病はたしかに怖いです。人類は、流行病との戦いでした。流行病が怖いからといって、生産活動を停止しても社会が成り立ちません。流行病と共存していくことに舵をきれば、オリンピック開催も無理な話ではないと思います。